ここしばらく、自分は何のために働くのか、について考えていた。
なぜ働くのか。
楽しいからだ。
生活の糧を得るために働く、というのは一見真実のようだけど、順番がまるで逆だ。
楽しく働き、価値を生み出し、その結果として、生活の糧を得ることができる。
「私は社員に『給料をもらって働く人』は辞めてください、と言っています。必要なのは、『働いて給料をもらう人』だけです。」
という松井証券の松井社長の言葉は、至極当たり前の言葉である。
まず、楽しいから働く。結果として生み出した価値に見合ったお金が入ってくる。
その意味で、苦労を自慢するだとか、楽しそうに仕事をしている人間を「あいつは苦労が足りない」と批判するといった行為は、極めてナンセンスである。
(僕が現在いるコンサルティング業界には、なぜかそういう人が多い)
では、僕にとって仕事を通じた楽しみとは何なのだろうか。
何を喜びとして、僕は働くのだろうか。
・チームで何かを成し遂げた時の興奮。
・チームワークが高まった時に感じられるえもいえぬ一体感。
・尊敬できる仲間と、お互いを尊敬しあいながら、意見をぶつけ合い、一人では生み出せなかったであろう価値を生み出すときのダイナミズム。
・自分が提供した価値を、その受け手が心から喜んでくれ、感謝してくれる喜び。
そういったものが、僕にとっての一番の喜びであるように思う。
決して、会社での評価が最高だったとか、年俸が同僚の中で最も上がったとか、そんなことを喜びとしたいわけじゃない。
アマゾンの創業者ジェフ・ベソスが言うとおり、
「投資銀行での業績や期末のボーナスがどうのこうのとかそんなことを、いまは一喜一憂するけれど、80歳になったら全く覚えているわけないんだ。」
ということなのだ。
あらためてこんなことを考えているのは、
「かっこいい企業のかっこいい肩書きのポジションにつければ、何だか見栄えがいいしなあ」
なんてことを、いまだに時々思ってしまうことがあるからだ。
「もし誰も知らない何かをやっていたとしたら、『違うんだよ。僕は実は立派なMBAで、あのXX社のXXXのポジションのオファーだって蹴ったんだぜ』、って言いたくなるんじゃないか」
なんて馬鹿なことを思ってしまうからだ。
そんな時には、自分自身に問い直そう。
「何のために僕は働くのか」、と。
それが楽しいからだ。
年俸と見栄えのいいポジションで、良い世間体を得るためなんかじゃない。
自分自身に問い直そう。
「僕は誰のために存在しているのか」、と。
僕自身とその大切な人々のためだ。
僕をその肩書きで評価するやつらのためなんかじゃない。