後日乗

ごにちじゃう Life After Tuck in Tokyo

米国Dartmouth College, Tuck SchoolでMBAを取る過程を
365日x2年余すところなく記した「ダートマス日乗」
帰国後 東京における日々を「後日乗」として 再び記す
(副題としてはあまりに長い)
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知覧訪問顛末記: その2
二日目: 12月8日


0745
起床。ややアルコールが残っているかと心配したが、幸い二日酔はなし。

0800
一階食堂で朝食をとる。皆集まってくる。
朝食もまた美味なり。鹿児島の食はうまい。

0850
部屋の蒲団をたたみ、パッキングをして、一階フロントにてチェックアウト。
荷物をフロント脇に預けて外に出る。

建物前にて、「志士の会」の看板を脇に置いて、記念撮影。宿のおばさんに撮影してもらう。かなり愉快なキャラクター。お魚くわえたどらネコを裸足で追いかけそうな彼女のことを、我々は「サザエさん」と命名。

0930
平和会館の「隼」前で記念撮影をし、開館直後より特攻平和会館へ。


↑「隼」前にて記念撮影。

入り口のビデオで既に涙。その後、1200までおのおの会場内に散開して、展示を見ていく。

遺書・遺品が多すぎて、とても3時間では見きれない。引き出しの中に入っている遺品は、なかなか見ることができない。二度目の訪問であるが、まったく新たな気持ちである。遺書を読むほどに涙が溢れる。
「お母さん、お母さん、お母さん」
と強い筆跡で書かれてある遺書。
「野辺の花 召し出だされて 桜かな」
の達筆なる俳句。

間違いなく、一級の頭脳であり、知識見識胆力をもった方々であったことが分かる。
また、顔写真の笑顔の実に清らかでかげりのないこと。
それでいて、今の年齢感覚に10歳以上付け加えねばらないほどに成熟していること。
これについては、今回も非常に印象に残る。

1200
海中から引き上げられた零戦の前で集合。
一旦会館の外へ出る。外は雨。

〜1230
復元された三角兵舎、特攻観音、護国神社へ。
その後、さくら館へ戻り、昼食を取る。
知覧膳。これも極めて美味。

1330
Kさんのご自宅へ、車に乗り込んで向かう。8人乗りのワンボックスカーに、助手席はKさんのために空けておき、9人の男が乗り込む。
フォーメーションは、1−4−3−1.ワントップの運転手は熊野氏。最後のスイーパー「1」は、荷台だ(N氏)。Kさんは自宅ガレージに、ゴム長靴を履いて待っていてくれる。

「昨日は飲んだ?」とKさん。
「ええ、ちょっとだけ」と誰か。ちょっと?
「昨日は良く寝た?」とKさん。
「ええ、まあ」と誰か。全員睡眠4時間半のはずだが。
「私は、昨日は興奮して眠れなかったよ。久しぶりに当時のことを色々と思い出したから」とKさん。

1400
Kさんの案内で、まずは「給水棟」「防火用水跡」「正門跡」などをまわる。その後、飛行場跡へ向かう。
飛行場跡は、今は一面の田んぼ。しかし、当時の面影が明らかに残っている。山影は、写真で見たとおり。
戦闘指揮所跡にて、車を降り、周囲を見回す。万感迫る。


↑戦闘指揮所跡から滑走路跡を眺める

ここで「海ゆかば」と斉唱しよう、となったが、Kさんより一言。
「それなら、三角兵舎跡に行きなさい。あそこは出撃の直前まで過ごしていた場所で、魂が残っているから。慰霊祭も行う場所だから。」
そこで再び車に乗り込み、三角兵舎跡へ。

1410
三角兵舎跡は、杉林の中の階段を上った先にある。杉林は戦後に植えられたとのこと。当時は、松林だった。まず、当時洗い物などをしたという小川などを見学して、三角兵舎跡へ。


↑当時洗い物などをした小川のあたり

階段を一歩一歩上るごとに、特別な場所に近づいている、という感を抱く。

階段を上りきって、やや杉林が開けた場所に、石碑が立っていた。「三角兵舎の跡」の文字。何とも神々しい場所。明らかに特別な場所。計画したわけではないのに、我々はここにやってきた。ここに導かれた、と思う。一同、ただ言葉なし。


↑三角兵舎跡の石碑

「出撃の直前までここにおらしたんですよ」とKさん。
熊野氏がタバコに火をつけ、石碑の前にそれを献じる。

しばし、それを見つめ、やがて傘をたたんで、「海ゆかば」を斉唱する。
降りしきる雨の音とシンクロしながら、柿沼氏のハーモニカが流れる。
つづいて田沼氏の太く力強い独唱。
そして全員の斉唱。
Kさんも斉唱している。

歌いながら、胸が詰まるような思いを感じていた。英霊たちは何を思い、ここから出撃されたのだろうか。今我々が立っているこの場所で、あの美しき顔をした若者達が、明日の帰らぬ出撃を前に起居していたのだ。

ここで「海ゆかば」が歌われたこともあったろう。今と同じ、雨音だけが響いていたこともあったろう。
同じ歌が、同じ場所で歌われている。当時15歳の乙女だったKさんが79歳となってここにいる。

英霊とは一見縁もゆかりもない我々現代の三十代の男たちが、懸命にハーモニカを吹き、歌を歌っている。いわゆる「霊感」のまったくない私にも、ここが特別な場所であり、今特別なことがおきていることだけは分かる。何者かに見守られている感を、強い確信をもって感じる。

最後の「かえり見はせじ」が長く尾を引いて終わった。雨音だけが聞こえる。しばらく身じろぎもせず、石碑の「三角兵舎の跡」という文字を見つめていた。

一礼をしたのち、Kさんが、口を開いた。
「ここまで来れてよかったですね」
「皆さんのような若者が来てくれて(英霊も)喜んでいるでしょう」
そうであれば、どれだけ良いだろう。英霊に感謝の意を表し、御霊をお慰めするために、そのために来たのだから。

最後に、石碑に向かって手を合わせた。
護国神社で、特攻観音で、さまざまなことを心の中で語りかけてきた。なのに、ここではたったひとつの言葉しか出てこない。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、」
ひたすらそればかりが溢れて出てきた。
失礼なことに、「ございます」をつけることさえできなかった。ただ、「ありがとう」だけが奔流のように溢れ出てきた。言おうと思って言ったのではない。本当にあふれ出てきたのだ。今まで感じたことのない不思議な経験だった。

ここだったのだ。我々が来る場所は。ここに来るために導かれていたのだ。

一歩一歩三角兵舎跡を離れる。本当に離れがたい気持ちがする。
次に英霊の皆さんにここで会えるのはいつか。でも必ず来ると確信している。
また必ず来ます。ありがとう。


1445
階段を下りたところで、全員でKさんと1対1で記念撮影。「なんだか有名人みたいね」と笑う彼女。本当にチャーミングだ。手がやわらかい。自分のおばあちゃん、もといおばちゃんのように思える。井川氏が独身であることを、またも気にかけている。
この人とも会うべくして会ったのだな、と思う。

1450
再びぎゅうぎゅう詰めで車に乗り込み、車で飛行場跡地をゆっくりと流す。
戦闘指揮所跡を通る。この前を多くの特攻機が通過していったのだ、と思う。

後部荷台に乗った柿沼氏がハーモニカで「海ゆかば」を奏でる。つづいて田沼氏の独唱。そして全員の斉唱がつづく。車の中なので、先ほどよりも抑えた歌声。Kさんも助手席で歌っている。
こらえきれず、メガネを外して涙を拭っている。運転席の熊野氏も泣いている。運転大丈夫か?と少しだけ思う。

車はお別れを惜しむようにゆっくりゆっくりと走る。全員の斉唱が終わって、柿沼氏のハーモニカがもう一度流れる。ハーモニカが「かえり見はせじ」を奏で終えたところで、Kさんの自宅へちょうど到着した。

1500
Kさんの自宅でお別れ。皆で車を降りて、握手を交わす。
「またおいでよ」
「あんたたちみたいな若者に会えて嬉しかった」
とKさん。
実に別れがたし。再会を約して分かれる。

1500〜
再び平和会館へ。

受付を通ったところにいるおばちゃんが、
「あれまあ。また来たの?」と笑う。
「朝一番に来たからよく覚えてるよ。感心だねえ」と。
朝100円で借りたガイドレシーバーを無料で貸してくれる。
「あんたたち、どういう集団?」とおばちゃん。
「東京から来た志士の集まりです」と僕。
「まあ、志士!」とおばちゃん。

いろいろと地図などをくれる。三角兵舎跡に行ってきたんですよ、と言うと、「あんなところまで、よく行けたねえ」と驚いている。Kさんにつれていってもらったと言うと、「ああ、それなら納得。良かったね」とおばちゃん。
「あんたたちみたいな若者がいて嬉しいよ。ちょっと待っててね。私より詳しい人に説明頼んでみるから」と、受付を離れてどこかへ行く。(結局修学旅行生の予約が入っていてそれは無理だった)
知覧のおばちゃんは、皆明るく、そして優しい。

1600に集合することを約束して、皆で時間の許す限り見ていく。
遺書を丹念に読み、あらためて涙が出る。

1600
時間はいくらあっても足りない。終了時間がやってきてしまい、皆で集合。
受付のおばちゃん、また色々と話しかけてくれる。

会館を出て、銅像の前で記念撮影。
いよいよ知覧を離れるときだ。

1630〜
さくら館に戻り、荷物をピックアップ。車に荷物を積み込み、またぎゅうぎゅう詰めで乗り込む。
Kさんがいなくなった代わりに荷物が増えた。今度のフォーメーションは、2−4−3の2トップ。
運転は熊野氏、ナビは田沼氏だ。

一路鹿児島市内に向かって車は向かう。

富屋旅館を越え、武家屋敷を越え、山道に入ったあたりで霧が出始める。あっという間に濃霧の中に突入。ほとんど前が見えない。視界20メートルあるかないか。熊野氏、にわかに無口になる。緊張のドライブ。田沼氏がナビを見ながら、「次に右ゆるやかにカーブ」などと、手ぶりで表示。その様子、まるでWRCのナビのようだ。

男9人+荷物が乗っているので、車が重い。下り坂ではスピードが出る。霧で前が見えないので怖い。
「スピードあんまり出さんでよかよ!」と言うと、
「おめーらが重いんだよ!」と熊野氏。もっともだ。

1700
何とか鹿児島市内に到着。ここで、鹿児島ラーメンの「ざぼんラーメン」に入る。
まったくおなかはすいていないのだが、、、、餃子とラーメンとビール。最高。どんどんビールがなくなる。熊野氏ここでビールを飲み、仲村氏と運転交代することに。

1800
ラーメン屋を出て、みやげ物を買い込む。
ここで、飛行機が取れずに鹿児島でもう一泊する田沼氏と、そのまま仕事で博多に向かうMacと別れる。
良い旅を共にした良い仲間との、万感込めた別れ。またすぐ会えるのだが。

1830
一路鹿児島空港へ向かう。市内に入った瞬間、帰宅ラッシュに巻き込まれる。JALの飛行機は1945発。チェックインは1925まで。ナビの到着予定時刻は1900だが、どんどんその針が進んでいき、あっという間に1915に。にわかに熱い状況になる。余裕はわずか10分。渡邉氏が明らかに無言に。

井川氏と橋口が、ソリューションとして提示する近道に、すべてはまってしまい、貴重な時間をさらにロス。時間だけを使って、振り出しに戻る。

1900
何とか渋滞を抜け出して高速に乗る。空港へ向かう。空港が遠いんだ、また。
なかなか空港表示が出てこず、「これは違うところに向かっているのでは?」という懸念を抱く。

ナビシートの熊野氏は、睡眠不足と先ほどの緊張のドライブの疲れとビールの酔いで爆眠。まったく役に立たない置物と化している。先ほど大活躍だったナビ田沼氏が懐かしい。タヌマ・カムバック!

運転席の仲村氏、自分でレンタカー屋に電話しようとして携帯を取り出し、車蛇行する。危ないって。

レンタカー屋に電話。
「1920頃到着する。ガスも入れられないので現金精算を頼む。飛行機のチェックインは1925まで。即空港へ向かいたいので、送迎の準備をした状態で待たれたし」
レンタカー屋了解。

1920
トヨタレンタリースに若干逆走をしつつピットイン。皆車から飛び出してくる。
熊野氏が事務所で精算しているあいだ、あらかじめ用意されていたレンタカー屋のマイクロバスに皆乗り込む。運転手の女の子がかなりかわいい。

「この旅ではじめて若い女性と話したよね!」と興奮状態の皆が、男子校のような勢いでいじりまくる。「乗り遅れたら一緒にホテルに泊まろう」「俺と話すと妊娠するよ!」と助手席の●川氏。この会社はコンプラ大丈夫だろうか?

「絶対にこいつらを乗り遅れさせたくない」、という女の子の悲愴な決意溢れるドライブで無事に空港着。
最後に残ったN氏が、座席に座ったまま、
「じゃあ、車出してください」と一言。女の子にはもう笑う力が残ってない様子。
無事チェックイン。

飛行機が10分遅れており、何とかお土産まで買う時間があった。柿沼氏、全従業員へ「かるかん饅頭」を大量購入した上で、ざぼん三個パックまで購入。どんだけ荷物増えてるんだ。すごい男である。

1955
10分遅れて飛行機は鹿児島を離れた。離陸した瞬間、眠りに落ちた。

2140
羽田空港で、JAL組の五人(渡邉・N・仲村・柿沼・橋口)で解団式。
ついに、この旅は終わった。

バスの中でN氏と話をしつつ、旅におけるさまざまなシーンが蘇る。
一生心に残るであろう、絶対に忘れられないであろう、素晴らしい旅であった。

思い起こせば、酒場での一言から始まったこのツアー。「忙しいから」「面倒だから」「忘れちゃった」など、酒場でのアイデアが消えていった例は、あまりにも多い。なのに、このツアーはそのまま実現した。素晴らしい仲間。

今になって分かるのは、英霊があの場所へ導いてくれたのだということ。

すべての感謝の気持ちを新たにしつつ、この旅を共にしてくれた仲間に感謝。

知覧で会った皆さん、Kさん、旅館のおばちゃん、平和会館のおばちゃん、また会いましょう。



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以上が、今回の知覧訪問顛末記である。
訪問から帰った勢いでそのまま書き上げたので、
非常に粗い文章であるし、
内部記録用に書いたので、内輪向けの内容になっていること、
ご容赦ください。

今回の旅の目的は、
・英霊への感謝の思いを新たにすること
・御霊をお慰めすること
・この時代に平和な日本に暮らす自らの使命を確かめること
である。

そのあたりの思いについては、またあらためて書きたい。
| 橋口寛 | 日本 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
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NNです。知覧への素晴らしい旅で英霊にご感謝を申し上げていただき、ありがとうございました。もし許されるのであれば、いつか同行させていただければ大変幸いです。
| NN | 2008/12/20 11:12 AM |

NN様:

ありがとうございます。
次回行く機会あれば、是非ともご同道ください!
| 橋口 | 2008/12/30 1:46 AM |










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