後日乗

ごにちじゃう Life After Tuck in Tokyo

米国Dartmouth College, Tuck SchoolでMBAを取る過程を
365日x2年余すところなく記した「ダートマス日乗」
帰国後 東京における日々を「後日乗」として 再び記す
(副題としてはあまりに長い)
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奇跡の存在
自分の命をくれた父母が2人。
父母の命をくれた祖父母が計4人。
曾祖父が計8人。

こうやって世代をさかのぼっていくと、
わずか10世代前で1024人のご先祖様がいることになる。

ひとつの世代が平均して25年としたら、
10世代前は250年前。田沼意次の時代。

さらに20世代前までさかのぼると、先祖は100万人を超える。
500年前。日本の人口が1000万人を超えるか超えないかの
室町時代後期だ。

そして30世代前までさかのぼれば、計算上の先祖は10億人を超える。
750年前。鎌倉時代・元寇の時代。
人口は500〜800万人の間と言われる。

このことを簡単なエクセルで計算すると、
(無機質な数字だが、是非やってみていただきたい)
胸の中にしみじみと沁み入ってくる2つのことがある。

1.自分は奇跡の存在である
2.我々は兄弟である

という2つだ。


わずか10世代前の1024人の先祖のうち、
誰かひとりでも人生の選択をたがえたら、自分はここにいなかった
・祖父が国鉄に願書を出してなかったら、
・母が見合いを断っていたら、
・見知らぬ先祖が病気で若死にしていたら、
・見知らぬ先祖がある角を曲がらなかったら、
・ある晩、「今日は疲れたから」と子作りをやめていたら、
自分はここにいなかった。

あらゆる細い細い奇跡の積み重ねの結果、
その極めて細い道の先に自分がいる。

これが奇跡でなくて何であるか。
自分の命が運命的に与えられ、
今ここに生かされているということを痛感する。


また、わずか1000万人の日本総人口の時代に計算上100万人の先祖が居、
総人口わずか800万人の時代に今の総人口を超える先祖が居ること。

このことは、先祖たちへとつながる長い長い葉脈が、
無限の交叉を繰り返してきたことの論理的な証左だ。

つまり、私とあなたはきょうだいであるし、
今生きている人たちは皆どこかでつながったきょうだいである。


そのことを思うと世界が違って見える。


ここ一か月ほどの間にシンクロ的に何度も何度も話題にのぼったことであり、
昨日、2世代以上前の最後の一人であった祖母が亡くなって、
あらためて思ったことである。

先祖と親と奇跡に感謝し、供養し、孝行し、
渡された松明をしっかりと次に渡していきたい。


ps
以前に友人に紹介してもらった「いのちのまつり」という絵本にそのことが書いてあります。お子さんがいらっしゃる方は是非。

| 橋口寛 | 後日乗 | 11:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
「遊識者会議」を振り返る
5月10日(金)の夜から5月12日(日)の夜にかけて、「遊識者会議」というイベントを開催した。

少し時間は経過したけれど、あらためてこのイベントのことを振り返ってみたい。

遊識者会議のサイト
 ↓ 


もともと、このイベントは、目崎雅明さん(「幸福途上国ニッポン」の著者)と荻野淳也さんという二人の仲間がアメリカで行われたあるイベントにインスパイアされて、「こういうイベントを日本でもやろう!」ということで始まったもの。

その後、木戸寛孝さんや、矢野デイビットさんなどなどの、たくさんの愉快な仲間が集まって1年近くをかけてコツコツと企画の準備を積み重ねてきた。

二日間、青山界隈の3つの会場で同時多発的に開催したイベントは合計18。


・民間パートナーシップで月に探査ローバーを送るプロジェクトについて
・ディズニーで初の同性婚をやった女性
・芸歴20年のAV男優の語るセックス論
・世界有数のフレンチシェフの料理論
・ソーシャルデザインについて
・世界最後の資本主義フロンティアであるアフリカについて

などなどなど・・・いずれも本当に聞きごたえのある内容だった。

私自身も、月探査の袴田さんのセッションと、AV男優のトニー大木さんのセッションのインタビュアーをさせていただき、本当に考えること・学ぶところが多かった。

延べ500人前後の方が参加いただいたが、皆さん本当に満足度が高かったようで、たくさんの嬉しい言葉をいただいた。


日本に生きる我々は、好むと好まざるにかかわらず、日々社会の同調圧力を受けている。
気が付いたら何となく周囲に合わせてしまう。

子供たちは「ちゃんとしなさい」と言われて育つ。
でも「ちゃんと」って言う意味が何であるかは明確に定義できていない。
実際のところ、周囲に合わせることかもしれないし、失敗しないように余計なことは何もしないといったぞっとするようなことなのかもしれない。

「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が言われるようになって久しいが、実際のところ自分が多様な人生を受け入れる準備をどれだけできているだろうか。
例えば自分の子供が、安定した高給の職を投げ打って、月にロケットを飛ばしたいと言ったら?AV男優になったら?うん、それはさすがにハードルが高いけれど。



世界は中央集権ではもはや成り立たない。
ハイアラーキーな構造での指揮命令ですべてを統治するのは不可能だ。

もっと自律分散化した、ネットワーク状の、パートナーシップスタイルの在り方へと変わっていくはずだ。

私がそれを本に書いたのは2006年の春だった。

それから、時代は確かにその方向へと進んでいる。



それなのに我々はまだ同調圧力に屈し、
ちゃんとしなければならないと思い、
均質な在り方を求め、
ユニークなチャレンジを称賛するよりもむしろ失敗を罰している。

そのままでいいはずはない。



遊識者会議は、世界を真に多様性溢れる生き方に溢れる場にするためのひとつのチャレンジだった。
遊びながら、ユーモアのフレイバーをまぶしながら、極めて真面目に考えた三日間だった。
皆、最後はくたくたに疲れ切っていたけれど、最高に楽しい三日間だった。

きっと来年も、やる。
| 橋口寛 | 後日乗 | 21:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
誕生日ありがとう
 本日、誕生日を無事迎えることができました。
たくさんのメッセージをいただき、本当にありがとうございました。


10年前の誕生日。僕はまだ留学中の身で、ウォートンスクールで開かれたアイスホッケーの大会にチームメイトと一緒に参加していて、フィラデルフィアのバーで大量のテキーラをチームメイトからお祝いに飲まされてトイレで吐いていました。

あの時、10年後の自分の姿ははるか霞の先に朧に存在していましたが、その漠としたイメージはもっとずっと・・・何と言うか・・・固い存在だったろうと思います。
スーツをびしっと着て、銀縁の眼鏡をかけて、マホガニーの机を万年筆で叩いているような。何とステレオティピカル。
今自分が迎えている10年後の誕生日はまるで別のものです。そしてそのエキサイティングな現状を心の底から愛しています。


今日、おひとりおひとりのメッセージを読み、おひとりおひとりと一緒に過ごした時間・体験のことを思い出し、心から感謝の思いを新たにしました。

皆さんの存在と時間はもはや僕の人生そのものであって、皆さんがいない人生は既に考えられないものです。

無数の選択肢が掛け算として存在していた中で、今この状態へと奇跡的に導かれたことに、人智を超えたものへの感謝を抱きます。


誕生日、ありがとう。

いつか必ず我々は死ぬ時を迎えますが、その時までどうぞ宜しくお願いします。
| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
年頭にあたり
あけましておめでとうございます。

前年につづいて大きな変化の一年であった2012年が終わり、
2013年が始まりました。
個人的にも後厄が明けました。

今年は社会的にも大きな転回の一年であると確信しています。
しっかりとなすべき役割にまい進していきたいと思います。

年頭にあたり、今年も安岡正篤師の言葉を反芻しています。


「年頭 まず自ら意気を新たにすべし」

「年頭 古き悔恨を棄つべし」
「年頭 決然滞事を一掃すべし」
「年頭 新たに一善事を発願すべし」
「年頭 新たに一佳書を読み始むべし」
(安岡正篤)


皆さまにとって今年が良い一年でありますように。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
| 橋口寛 | 後日乗 | 01:36 | comments(0) | trackbacks(1) |
田沼たかし 当選!!!

12月17日(月)未明に、我が朋友、田沼たかしが衆議院議員選挙に当選しました。

16日(日)22時くらいに、小選挙区千葉一区で一度敗退が決定(民主のたじま要さんが当選)し、それからは惜敗率に基づいて比例の復活当選がなるかどうかをずっと計算しつづけながらの時間でした。

午前0時45分頃、ホワイトボードに書き込まれた比較対象の選挙区よりも田沼の惜敗率が高いことがほぼ確定。
ほぼ時を同じくして、維新の会に割り振られる比例議席や3から4に増えました。

これで論理的にはほぼ田沼の当選が固いはずだ、という状態になってからは、もうどうしようもなくドキドキしながらの永遠に思えるような1時間弱でした。

最後は仲間たちと立ちあがって肩を組みながら壁にプロジェクションされたNHKの選挙速報を見つめていました。
「比確 田沼隆志」
という文字が出た瞬間。
狭い事務所は文字通りの爆発状態になりました。

選対のイトウ君もカネコ君も大声で叫び、お父さんが泣き、本人も泣き、奥様も泣き、仲間たちも誰もが皆泣きながら声にならない叫びをあげました。


あっという間の、長い長い戦いでした。
過去のさまざまなことからの記憶を振り返ると本当に言葉にならない思いがいたします。


田沼たかしは己の志だけで、これまでずっと無所属で戦ってきた男。

今回維新の会という政党に合流したとはいえ、既成の政党に比べればぜい弱を絵に描いたような体制でした。

支持基盤となる組合、業界・宗教団体、党本部から人と金が大量に送りこまれる既成政党に対して、
田沼陣営は金はなく、人はすべて思いに感化されたボランティアだけで構成されていました。

延べ参加人数はおそらく数十倍違うと思われます。
それでも外へのエクスポジャー(例えばジャンパーを着て街宣する人の数)があまり変わらないように見えたとしたら、それはひとえに「シフトの濃密度」が数十倍高かった、ということでしかありませんでした。
分かりやすく言うと「他の陣営のように交代して休むような人的余裕がなかった」のです。

選対本部の要職をつとめる学生ボランティアたちも、紙の触り過ぎで脂分が抜けバリバリにひび割れてしまった指を軍手でおおって、毎晩毎晩ほんの短時間の仮眠だけで全力疾走していましたが、選挙期間中に高熱を発して倒れることも何度もありました。

高熱で荒い息を吐きながら深夜の事務所で作業をする彼らに「もういいから、とにかく休め」といいながら、涙が出る思いでした。

12月9日(日)の決起大会で、田沼は演題の上でイトウ君やカネコ君たちについて触れようとして感極まって嗚咽したまま、しばらく何も言うことができませんでした。
イトウ君は翌日の準備で決起大会にも来られませんでしたが、あとから伝え聞いた彼らにとってはどんな言葉をも上回るものだったでしょう。

 

「最後は絶対に勝つ」と信じて仲間たちと全力で応援した三週間でしたが、正直ほんの少しだけ「そうはいってもやはり既成政党は強いし、ダメかもしれない」という思いもなかったわけではありません。

万が一落選したらどうしよう。
事務所の中はガランとしてしまうだろう。
最後まで残って田沼と家族の労をねぎらってあげるのが自分たちの役割だ、というような失礼な思いも頭の中には実はありました。


そんな中、最後の最後に勝たせていただき、田沼を国政の場に立たせていただいたことに感謝を申し上げたいと思います。

田沼は、これから重く大切な責任を背負ったと思います。
これからも全力で彼を支えていきたいと思います。

そして、自分の持ち場で自分にできることに対して、常に全力を尽くして行きたいと思います。

問いかけにこたえてボランティアをしていただいた皆様、寄付をしていただいた皆様、本当にありがとうございました。

 

| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
とても忙しい九月の終り
 とても忙しかった九月が終わった。
(正確には終わってもうずいぶん経つが)

(株)ユーフォリアに完全参画してから、最初のクオーターの最後の月。


あまりにも忙しくてブログを書くことをスキップしつづけていたのだが、その間もfacebookにはちょくちょく書いていた。

僕の場合、印象的には一エントリあたりの所要時間が、

Blog --- 20分
facebook --- 1-2分
twitter --- 15-30秒

という感じなので、blogを書くのは少しハードルが高い状況であっても、facebookはその代替的に(実際はならないのだけど)使っていた感じだ。

しかし、思考の整理は、facebookは向かない。
ライフログではないストック化も、facebookは向かない。

それらは、力技でもblogに書くしかない。


過去の体験をバックデイトすることになってしまうけれど、9月のいくつかの出来事を後から振り返ってblogに書くことにしたい。


| 橋口寛 | 後日乗 | 00:28 | comments(0) | trackbacks(1) |
慶應SDMでのフューチャーセッション
9月19日(水)の19:00から、日吉にある慶應大学システムデザインマネジメント研究科(SDM研究科)で行われた、「フューチャーセッション 〜デザインと経営の未来〜」で講演させていただいた。


古くからの友人であり、現在慶應SDMで非常勤講師をしている富田欣和さんにお誘いをいただき、NARUMIで開発したOSOROに関してクリエイティブディレクターの田子さんと二人でお話をすることになったものだ。


田子さんが、デザインの視点から「デザインと経営の未来」を。
私が、経営の視点から「経営とデザインの未来」を、
それぞれ語るという趣旨。


富田さんからお話をいただいた時に二つ返事でお受けしたが、その理由は以下。

・OSOROにおける難所もブレークスルーも、実は多くの日本企業(特にメーカー)が抱えている問題と同種のものであり、発信する義務があると考えたこと
・NARUMIとOSOROの今後にとっても最高のアピールの場になるだろうと考えたこと
・プロジェクトの過程では全般を俯瞰して振り返ることなどできなかったので、それをあらためて強制的に自らに課してみたかったこと
・純粋に慶應SDMの取り組み(システム思考、デザイン思考、マネジメントの融合)に興味があったこと


結果としては、本当にありがたい場になった。

・プレゼン資料を準備する過程は自ら発見の連続であったし、
・田子さんのプレゼンを聴いていてもたくさんの発見があったし、
・多くの友人知人にプレゼンを聴いてもらえたし、
・その中には妻もいたし(こんな機会はめったにない)
・質問を通じて気づくこともたくさんあったし、
・SDMの場の素晴らしさとそこに集まる教授や学生や支援者と交流ことができたし、
・たくさんの方に「ナルミのファンになった」「OSORO買います」と言っていただけたし、
・そして、何よりも楽しかった。


質疑応答やそのあとの懇親会も通じてたくさんの方々とお話をしたが、時間が足りないと痛切に感じるほどだった。


田子さん、富田さん、ナルミから参加いただいたAさん、サンプルを娘さんと一緒に自転車で持ってきていただいたTさん(ごめんなさい!)、SDMの前野先生・白坂先生、会場にいらしていただいた皆様・・・ありがとうございました!

本当にワクワクする楽しい時間でした。






| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
わらび座のこと

今朝の日経新聞の文化欄(私の履歴書・交友抄と並ぶ日経新聞におけるもっとも価値ある面のひとつと思料)に、松山の「坊っちゃん劇場」におけるミュージカルの話が載っていた。

日露戦争時のロシア兵捕虜と収容所の置かれた松山市民との交流については何度か読んだことがあり、それは興味深いテーマだと思ったが、目を引いたのは、「坊っちゃん劇場」の成り立ちについての箇所だった。

劇団「わらび座」と愛媛の地元企業との共同出資で作られた、と書いてあったのだ。

「わらび座」という名前で圧倒的に思いだす記憶は、11年ほど前の出来事だ。


当時、僕はアメリカのニューハンプシャー州ハノーバーというド田舎に留学していて、妻子も日本に帰して一人暮らしをしていた。

いつも晩御飯のラップとホットコーヒーを買うデリに夜中に立ち寄ると、若い東洋系のカップルがタバコだかビールだかを買おうとして、
「あなたたち、未成年でしょ!ID見せなさい!」
と問い詰められている。

二人は英語が分からないようで、とても困った様子だったので、話しかけたところ、日本人だった。
(日本人はたいてい若く見られるけれど、彼らは僕から見ても中高生に見えた)

パスポートを示して無事に買い物ができた二人と、デリの中でしばらく立ち話をした。

 ・秋田のある町にある「わらび座」という劇団の団員であること
 ・現在全米ツアーの最中であること
 ・明日の夜ダートマス大学所有のホプキンスセンターで公演すること
 ・NYやボストンを回ってきたが、こんな小さな町に来たのは初めてであること
 ・こんなところで明日本当に人が入るか不安であること
 ・でも、日本人にあえて嬉しかったこと

などを語ってくれ、
僕は明日の公演に絶対に見に行くことと、公演終了後に楽屋に遊びに行くことを約束して別れた。


翌日、同級生を誘って見た彼らの公演を身に行った。
会場は地元の人たちで超満員だった。
三味線、太鼓、民謡による公演は、素晴らしかった。

最後の太鼓では、アメリカの地で聴く特別な日本の響きに圧倒され、ただただ涙が溢れて止まらない。
会場全体が、割れんばかりのスタンディングオベーションで彼らを祝福している。
昨日のカップルも、三味線と太鼓を見事に演じており、
もはや中高生には見えなかった。

終演後、楽屋に遊びに行った。
しばらく待って、彼ら二人とその仲間二人、僕、そして同級生の合計6人で
僕のオンボロのニッサン・セントラ(日本名サニー)にぎゅうぎゅう詰めで乗って、
きゃあきゃあ言いながら僕の部屋に遊びに行った。

小さな部屋で、床に車座になってビールを飲み、精一杯のラーメンでもてなした。

彼らは、「わらび座」の劇団の中で生まれ、物心つくころから三味線や太鼓や民謡をまなぶ。
小さな時からわらび座の団員となることを宿命づけられて、芸一筋に生きてきた。
そしてこれからも死ぬまで芸の道を追求しつづける。
その雑物のない純粋さ、日々の練磨の深さ、運命の力強さ、などが、
なんとも言えない深みを彼らの芸に与えているのだろう。
その夕鶴の姿に、現代の若者にはない哀しみを与えているのだろう。

30を過ぎてアメリカの片田舎で学生をやり、未来定まらぬ僕と、
20そこそこで既に芸歴20年近い彼らと、
一瞬だけ交わった時間。

「日本に帰ったら秋田に遊びに行くよ」という、
11年前にした約束のうちの二つ目をまだ果たしていないことを思い出した。

(上記のわらび座についての記載は、あくまで僕が当時聞いた話をもとにしています。
今は違うかもしれませんし、わらび座も多面的重層的である可能性は大いにあります。
当時見たウェブと今見るウェブとで随分印象が変わったために補記まで。)

| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(8) |
再発明の時代

毎日触れるニュースが、同じメッセージを発している。

どうしたらいいかわからないんだ。

偉い人だって、もうどうしたらいいかわからないんだ。



僕たちが生きている時代は、

多くのことを、再発明しなければいけない時代なのだ。

うまくいっていること、今までうまくいったことを、

ただ劣化させずにコピーすればいい時代ではなくなったのだ。



ピラミッドの重心は益々あがる。

雇用は否も応もなく失われる。

何もしなければ価値は減衰するだけではなく、

うまくこなすだけでも価値は減衰する。



僕たちが求められているのは、

うまくやることではない。



構造を変える。

再発明しなおす

リフレームしななおす

レイヤーを作り出す。



僕たちが求められているのは、

それだ。

僕たちが次の世代から記憶されるのは、

ただ、その一点においてだ。



それをどんな言葉で定義するのかは、

いつかの後世が決めてくれる。


なんてワクワクする時代だろうか!

| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
五輪を終えて思う

ロンドン五輪が終わった。

寝不足と戦った幸せな二週間。
とにかくよく涙腺を刺激される五輪だった。

加齢のせいで涙もろくなっただけではあるまい。
見るものを感動させる”何か”が多かった大会だった。

目立ったのは、チーム戦における随喜の爆発と、
周囲の支えへのストレートな感謝の発露だ。


日本人選手が、これだけ周囲に感謝を示すようになったのはいつからか。
アトランタ五輪の頃は、意識の矢印ははるかに自分自身に向いていたように思う。

メダル候補としての過度な期待と、
それに対する反発としての「楽しみたい」「自分自身のために」という言葉。

悲壮なまでの「楽しみたい」「楽しまねば」というプレッシャーが、
結果として若い選手自身を押しつぶしてしまった残酷なシーンを我々は見た。


シドニーあたりから潮目は変わり始め、
アテネでは明確に「感謝」の声が多くなるようになった。

計算し尽くされた芸能人や政治家の言葉とちがって、
スポーツ選手の何がしかの到達(あるいは未達)直後の声だ。

その100人を超えるサンプルは、
時代の空気とその変化を表しているように思う。

2000年を過ぎたあたりから日本人の空気は変わり、
震災を経て一気にそれが加速したのだ。


自分が今あるのは、周囲の人々の支えのおかげであると、
感謝の言葉を口にすることをてらいなく出来る社会になった。

(甲子園球児のコメントを毎年見ていても、
明らかにここ10年で変わっている)

そのことがパフォーマンスに影響していると結論づけることには意味はあまりないけれど、
我々日本人のこの変化が望ましいものであるとは、間違いなく思う。


周囲への感謝の心をストレートに伝え、
敗者へのいたわりの気持ちを常に持ち、
運不運による結果の違いを誰かのせいにせず、
判定を批判したりはせず、
お世話になったスタジアムは掃除をして去る。

それが日本人の姿だ。
先人から受け継いだ伝統の上に立つ我々の意識だ。

そのことをあらためて思う五輪であった。
我々は良い変化の上にいるのだ。

某国の振舞いを声高に批判することなく、
ただ、自らの価値観のままにこれからも振る舞えば良い。

世界は見ていないようでいて、その姿を見ている。

| 橋口寛 | 後日乗 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(5) |
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